教育

2009年6月29日 (月)

「学び」の起動

「学び」を起動するのは

「意味のわからないものの意味を
予見できる力、
有用性がいまだ知れないものの
潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。
(内田樹)

僕らはどこまでいっても
知らんことばかりだということ
は知っておいた方が得だ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

内田樹氏のブログより抜粋

~外国語なんて大きくなってからで十分である。
子どものときはそれよりも浴びるように本を読んで、音楽を聴いて、身体を動かして、お絵かきをして、自然の中を走り回り、家のかたづけやら皿洗いやら廊下の雑巾がけなどをすることの方がはるかにはるかにたいせつである。
外国語は「私がそのような考え方や感じ方があることを想像だにできなかった人」に出会うための特権的な回路である。
それは「私が今住んでいるこの社会の価値観や美意識やイデオロギーや信教」から逃れ出る数少ない道筋の一つである。
その意味で外国語をひとつ知っているということは「タイムマシン」や「宇宙船」を所有するのに匹敵する豊かさを意味する。
けれども、それはあくまで「外部」とつながるための回路であって、「内部」における威信や年収や情報や文化資本にカウントされるために学習するものではない。
外国語は「檻から出る」ための装置であって、「檻の中にとどまる」ための装置ではない。
役人たちは国民を「檻の中に閉じ込める」ことを本務としている。
その人々が外国語学習の本義を理解していると私は考えることができないのである。~

(ここから自著)
私の香港在住日本人の友人は
あまりに酷い(主に)西洋の輩に
説教する為に(ほとんどその為だけに!)英語力を磨いた。
英語圏の人間は語学習得能力が低く
日本語など到底理解できないからしかたない。
「檻」から出て鬼を懲らしめに行ったとさ。
彼は家では大和言葉を研究している。

ともかくも、子供に日本の将来を託したかったら
本当の日本語をとことん学ばせなきゃ。
日本語は並の知識人が考えている以上に
遙かに深い意味をもった言語なのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月19日 (水)

教育費

子供の教育費が幾ら掛かるとかで
ときどき新聞などで数字を羅列した記事を見る。
大学卒業まででン千万円とか何とか。
掛けたい人は勝手に掛けたらいいけど
そんな程度の環境で育った人間に国を司られた日にゃあ
国民はたまったもんじゃない。
だいいち、当の子供の本心はそんなことを
一度たりとも願った事などないでしょう。

教育に金なんか要るか!
お金とは関係ない部分の日々の大切な事の積重ねこそが教育でしょう。
お金の使い方の大切さを教えるのが教育では。
それすっ飛ばして、金注ぎ込んで何を育むというの?
守屋2世ってとこですか。

兎に角。
自分で善悪を判断し、自己責任で行動し
自分の能力を信じて一所懸命努力する人間を育てるのに
なんで大金が必要なのか
さっぱりわからん。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月12日 (水)

お正月

子供の頃はやたらと正月が待ち遠しかった。

“もーいくつねるとー、おしょおがつー”というのは

本当に僕らの心の叫びだった。

決してお年玉をもらえるからだけじゃない。

何かが新しく変わるという瞬間に胸がときめいた。

だから、自転車は年に1回年末だけは掃除し

机の中も外もきれいに掃除整理整頓した。

大晦日の夜のお風呂上りに履くパンツは

1番のお気入りのものか、おニューでなければ許されるものではなかった。

紅白歌合戦を最後まで見て

蛍の光の大合唱の喧騒が終わったとたん

ゆく年くる年の除夜の鐘に切り替わる瞬間は

子供の心ですらも洗われたような気がした。

そんな思いで迎えた正月元旦。

この年最初に袖を通す服が何であるかは、この後365日を占うほどの意味がある。

というほどに、元旦の服装を気にしたものだ。

10年くらい前からか

ジャージにグラウンドコートの姿を見かけるのは

ウインタースポーツの観戦と同じくらい、初詣の神社が多い。

1年の計があると言われる元旦に神社にお参りに行くのはいいのだが

寝巻きにどてら姿のような格好で、どんなことを願い、決意するのだろうか。

僕も青少年の一時期

「そんなの関係ねえ!」とばかりに

いつもと同じきたない服装で、風呂にも入らず

初詣すら行かなかった年もあった。

でも今時は、普通のおじさんおばさんが

まったく悪びれることもなく、部屋着のような格好で元旦を過ごし

2日には、家族揃ってショッピングセンターへ直行である。(先週行ったとこやろ!)

こんな国に美しい生活文化は築かれない。

節目を大切にしない国民に規律の文化は生まれない。

規律の無い民が住む国に長い繁栄は絶対にありえない。

節目節目に何をし何を着ているかがその時の自分そのものを写し出している。

せめて、叙勲と受賞と結婚式と正月くらいは着物を着よう。

まず自分から、日本人の正月は着物。

| | コメント (2) | トラックバック (0)