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2009年3月

2009年3月 2日 (月)

岩田哲のブログより

2009年03月01日

自然食の昔の方が人は短命だった。

 拝金主義という言葉がある。人格や教育あるいは人徳などという目に見えないものでその人の価値を判断するのが正しいという正論がある一方で、そんなものを誰が判断できるのかという疑問が湧く。

そこで手取り早く、誰にでもわかり易い指標として、世間では三高などという基準で見ていこうという考えがある。それが、「背が高い、学歴が高い、収入が高い。」という判断基準である。

テレビなどでも、某女医タレントが、「私は年収4000万以上の男でなければ眼中にないの。」などと平気でのたまわっている。
そもそも、世の中での経験や、物の価値を知らない未熟な人間が判断基準を持とうとすると、だいたい拝金主義的になる。

 しかし、人間も年齢を重ね、多くの価値を身につけるに従って量よりも質、モノよりもコトへとその価値尺度が移行する。

 現に、1970年代の日本人の欲しいベスト3は、車、エアコン、電子レンジなど、全て物欲であった。
しかし、昨今では、時間、健康、旅行など、物欲はひとつもその上位に顔を出していない。
物欲の世界では私達は少しは質への転換をしてきたようだ。

 しかし、目に見えない世界では、いまだに量がその価値判断の基準にされている。つまり、生きること、日々の人生の質というより、「何歳まで生きたいか。」という長寿だけが、医療の価値判断であり、いきおい延命のみにその重点が置かれている。

 私達の健康に対する考え方もほとんどこの場合と同じで、体に良いことだけをしていれば良いという価値判断だけで語られている。これはビタミン何とかで何に良いからとか、これは有機農法で何だとか、いろいろ講釈ばかり垂れながら食事をしている。

そんなことなら昔の人は皆な有機の作物を食べ、体を動かし、早寝早起きをし、きれいな水、きれいな空気を吸っていた。だから、昔の人は今の私達よりずっとずっと長生きだった、はずだ。

理屈で健康を語るなら、そうならなければならない。こんな事を書くと、すぐ人のアラを探して理屈を言う人も居るが、私はそんな単純な主張をしようというのではない。

 人生や健康や、価値感など、人間が生きてゆくうえにおいてとても大切な事々については、単純な指標を持って計ろうとしないでほしいということを言いたい。人の考えを鵜呑みにせず、自分の大切なもの、自分が大切に思うことは何だろう。それはあなたたちひとりひとりによって答えは違うはずです。

 ひとりひとりの感情や知性を純動員して自らの力で答えを導き出すべきことです。

 日本の女子高生のファッションは、世の中の大人がまゆを細めているにもかかわらず、自分達流かわいいファッションを追求し、その個性をいまでは世界中の女の子があこがれているようにまでなりました。ひたすら外人にあこがれただけの私達大人より、ずっとずっと自分らしさを持って生きている。

 人生50年だった時代から、人生80年の時代へと入ってきた時代、周囲に迷惑をかけながら80年生きること、長生きだけが幸せの指標なのでしょうか。それよりもっと自分流の生きることの質を問うべき時代になっているのではないでしょうか。

 私達が無くてはならない酸素も40億年前には地球上になく、初めて酸素が生まれた時、生物は酸素によって死滅したのです。その中から抗酸素力を持った者達が今日の生物の祖先となったのです。

 私達の生命はまだまだ未知の能力が埋もれています。
あまりに従来の健康観にとらわれすぎず、自らの命の可能性も信じ、今日を感謝するその一点に集中する生き方をしておれば、自ずと生きることの質は向上してゆくと考えているのは私だけでしょうか。

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