« 得たものは失ったものより大きいか | トップページ | 勝つことと負けること »

2008年7月29日 (火)

家庭医

子供の頃は家族全員が何かあったら駆け込んだ
かかりつけのお医者さんというのがあった。
注射もされたから、恐ろしい場所には違いなかったが
お腹をちょこっとさわったくらいで
「ゆっくり寝てなさい」の一言で安心させてくれる所でもあった。

最近はそういう医院がすっかり姿を消してしまい
皆病院化してしまった。
町の医院もすぐに大病院への紹介状を書いてくれる。
まるで出先の受付機関みたいに。
そして病院では生身の身体を物扱いされ
判断材料は数字のオンパレードである。
それでも、大部分の現代人は
大病院という権威にひれ伏すことで根拠のない納得安心の境地を得る。

最近本当の家庭医とご縁ができた。
ここの医院には医療機器がない。
処方される薬など皆無。注射は絶対されない。
畳が敷き詰められているだけの空間である。
もちろん流行の民間療法でもなければ整骨院でもない。
ここの先生は元は救急病院の外科医でもあった免許皆伝の医師である。
ただ、西洋医学の行き詰まりを誰よりも早く確信し
素直な心に従って行動しただけなのだ。

ともかくも、この先生は
医院を尋ねて来てくれた一人ひとりを
その人の人生と共に何十年かけて診ていきたいと仰る。
病気を治すのではなく
元気に暮らせるよう後押しするだけだと。
人間の身体の中にあるのは自然そのものだから
その自然をありのままに戻してあげるだけということである。

私は自分の仕事でもこうありたいと思う。
お客さんと売買のときだけの点の縁ではなく
共に人生を歩むかのようにずっと淡交が続くような流れる縁。
そういう関係が誰かと続けられるかどうかが
今の仕事が本当かどうかの判断基準なのかもしれない。

|

« 得たものは失ったものより大きいか | トップページ | 勝つことと負けること »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/164610/42004016

この記事へのトラックバック一覧です: 家庭医:

« 得たものは失ったものより大きいか | トップページ | 勝つことと負けること »