« 2006年9月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年10月

2006年10月 8日 (日)

覚悟

友人がフライデーにパパラッチされた。

相手はニュースキャスターに大抜擢された今をときめく美人アナ。

本人もまた、党のホープとして大活躍するイケメン議員だ。

問題はこの友人が妻子持ちであった事。

この一点で二人ともその輝かしいポジション(表面上は)を剥奪された。

アナの方は独身なので開き直る事もできたはずだが

見た目よりかなり真面目な方なのだろうと思う。

局側の「お咎めなし」の意向に反して

ショックで休養を続けておられる。

おそらく二人とも相当な頑張りやさんである。

たまたま美男美女だが、それ以上に真っ直ぐな仕事人間なはずだ。

私の友人は間違いなくそうだし、彼は根が真面目な人しか好きにならないと思う。

だから、実質東京では独身者どうしの二人が急接近したところで

何の不思議もない。

こうなることは避けられなかったかもしれないとも思う。

しかし、であるならば

絶対に人目につかないことを念頭に置くべきであった。

「南青山のイタリアンレストランの店を出たところ」から

映画のシーンのようなカットを次々写されているのは

間違いなく本人達の潜在意識に、そう「見せたい」という念があったからだろう。

あるいは彼らもまたそのシーンのオーディエンスであったのかもしれない。

彼らに与えられた大きな役職は彼らの能力に相応しいものだっただろう。

仕事の能力は高かったはずだ。

ただ、あまりに短期間の出世に、自分達がどの程度世間の注目を浴びうる存在か

自分達がついていけなかったということでもあるだろう。

実は私がここで言いたかったことの本題はここからである。

この一件での唯一直接的な被害者は友人の奥さんである。

夫以上の能力を有しながら、地元と家庭を地道に支え

国政の為に共に歩んでいるはずの夫に裏切られたのだ。

他にこれ以上信じるべき人がいないはずの人に。

先日事務所からこの度の詫び状がきた。

地元を夫婦でお詫び行脚しているらしい。

書面の最後には夫人の名前まで記されてあった。

まさにヒラリー・クリントン張り。

でもこの夫人は

国会議員の夫の立場回復を優先させることで

一時的に自らの怒りと失望を心の奥底に沈めているのだろう。

知性の高い人だけに怒りを表面的に爆発させないであろうことが心配だ。

それは何年後か何十年後か

友人が忘れた頃に必ず噴出するだろう。

そして、たとえそれがわかっていても

国会議員であり続ける限り、家族優先の生活など許されない。

もしかしたら、夫人も初めから普通の幸せなど描いていないのかもしれない。

政治家になるとは、鬼にでもなることを覚悟しなければいけないことなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 4日 (水)

陰徳貯金

最近教えて頂いた

最新の合理と科学を紹介してみようと思う。

我々はつい、眼に見える現象で物事の価値の大半を判断してしまう。

何事かの達成や成功といった価値も

眼に見えるカタチを追いかけ(例えば金)、一所懸命努力する。

まあこれは至極あたりまえのことでもある。

しかし一方で、運がなくて夢破れたり、失敗ばかりしている人も多い。

相手が運だけに皆一様にどうしようもないものとして

嘆きながらもあきらめてしまう。

ただし運のよい人へは、大きな嫉妬心を抱きながら。

果たして運は我々の力ではどうしようもないものなのか。

いくら努力しても最後はそれでひっくり返されるのなら、甲斐がない。

運を味方にできるのなら、努力のし甲斐もあるというもの。

実は、運はある一定の法則に従って運行されている。

諸説細かく言うとややこしいので

一言で言ってしまえば、陰徳の量がそれを決定付ける。

陰徳とは人の見知らぬ所で見返りのない善行をすること。

布施のようなものである。

(人に直接感謝の言葉を受けるような行いは陰徳とは言わない)

(ちなみに見返りを求めたらその瞬間に布施ではなくなる)

我々は過去世と現世の陰徳貯金を陽得と交換して使っている。

陰徳貯金はいつでもどこでも陽得と交換できる万能の貯金なので

よーするに、この陰徳の貯金の量がその人の成功や運さえも決定づけてしまうのだ。

気を付けなければならないのは

例え一時的に成功しても

謙虚さを忘れ、自惚れや思い上がりが強くなると

陰徳が無くなってしまうということ。

運は一挙に逃げ、転落への助走が始まってしまう。

逆にいつも不運に嘆いている人も

実は感謝の念が薄く、結構身勝手なものなのだ。

それゆえ陰徳など貯まろうはずもない。

我が導師は自分の会社経営のシステムを

いかに陰徳が貯まるシステムかどうかで判断している。

新しい事業の選択基準は

陰徳が貯まり易い内容かどうか。

こんな経営合理化計画は聞いた事がない。

そして、これこそ本物だと私の心は疼いた。

「企業の目的とは陰徳追求」

最高に新しくてお洒落。

そして永遠に色あせる事のないビジネスモデルだ。

絶対に誰にも気付かれずに

黙ってこっそり善いこといっぱいするんだ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 3日 (火)

合理的な世の中

最近私は改めて合理主義者である。

世の中に合理的でないものは何もない。

だから非合理的なものとして誰かが棄てた価値も

明らかに合理で成り立っていたものとして再び拾い集める価値がある。

もちろん、私が言及しているのは偏狭な近代合理主義ではない。

東洋思想の洗礼を受け

運命の法則、魂の存在、宇宙エネルギーに気付きつつ

螺旋階段を一段上ったところで認識した真の合理である。

だから近代合理主義が生み出した

物理的科学万能主義では解決できないことが

これからの時代山のように積み上げられるだろうが、

真の合理主義が生み出す科学は

恐らく多次元世界の存在をも示してくれるだろう。

数値的合理以外を認めない現代科学の世界は

小さな経験世界に閉じこもったまま出てこれない。

真の経験世界は、皆が存在を感じあうだけで成立する。

それで充分だからだ。

自分が扉を閉じさえしなければ、すべての真実は開かれている。

何千年も前、真の悟りを開いたものや預言者たちは

決して新興の宗教団体を作りたかったのではないだろう。

皆、眼だけでは見えない真の世界を知らせたかっただけなんだ、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年12月 »